huaquero blog の引越し

 ”huaquero blog” は僕がボストンで建築を勉強していた頃に書いていたものだった。ある考古学プロジェクトの縁で帰国してからは、だんだん書かなくなってしまった。ペルーの調査現場から現地レポートでも書いたら面白いかな、と思いつつ、結局書かないままでいた。
 偶然目にしたネットニュースに、登録していたwebサービスが終わるという記事を見つけた。もう12年も放置していたblogだけど、そのまま消えてしまうのはちょっと寂しい気もしたので、今使っているサーバの片隅に引っ越して残しておくことにした。
 この12年で、いろんなことが変わった。相変わらず芦屋を本拠地にしているけれど、家族も増えたし、大学も移ったし、調査フィールドも変わった。今年からペルーで新たな調査も始めるところでもあるし、もしかしたら、何か書けるかもしれない、という期待も込めて。

スカルパ ダルマ

芦屋は瀬戸内海と六甲山に挟まれた街。阪急芦屋川駅から10分も歩けば日本ロッククライミング発祥の地であるロックガーデンがあり、そこからいくつかのトレイルへ入ることができる。縦走ルートもあれば最高峰から有馬温泉に抜けたりと様々なルートがあり、またトレランや氷瀑巡りなど楽しみ方もいろいろある。
大都市圏に接してるだけに殆どのトレイルはよく整備されていて、子供が遠足に来られる程。大げさな装備はなくても楽しむことができ、靴も本格的な登山靴が必要になるシーンは少ない(季節やルートによってはちゃんとした装備が必要になります)。なにしろベアフットランのワラーチや、文字通りベアフット(裸足)で歩き回る猛者もいるくらいだ。僕はまだその境地には至っていないので、トレラン用のVivoで入る事が多い。ランだけが目的ではないけど軽快で必要十分なグリップがあればよいのだ。メジャーなルートから外れない限りとくに困ることはない。
とはいえ岩場には向かないのと、天候によっては心もとない場面もある。フィールドワーク用のダナーアケーディアを持っているけど、せっかく身近な山で気楽に遊べるのにおおげさなモノは避けたい。そこで六甲山で遊ぶ範囲を少し広げるために、岩場にもトレッキングにもつかえて、軽快な靴がないものかと探してみた。
アプローチシューズ
その名の通りクライミングの岩場に辿り着くための靴。トレッキングはもちろん低難度のクライミングルートならこなしてしまう事も想定しているため、軽トレッキングシューズとロッククライミングシューズの両方の機能が要求される。重いバックパックを背負って何日も歩くことは想定していないので、ローカットモデルが多く防水性も最低限に控えてある。まあ、岩場向けの軽快なトレッキングシューズといったところだろうか。かなりニッチな靴のようだけど、日帰りがメインで岩場の多い六甲山には、雨さえ気をつければなかなか調子が良いようだ。
ダルマプロはイタリア登山靴の名門スカルパがティトン国立公園のエクサム山岳ガイドに提供するために開発したアプローチシューズだ。米最古の登山指導組織でもあり米軍の山岳トレーニングも行っているエクサムガイドのための靴となると随分と大げさな気もするが、スペックやデザインを見る限りスカルパの定番ゼンのミドルカットバージョンのようだ(スカルパでは他にもモヒートというアプローチシューズも有名。日本ではモジトと紹介されている)。爪先からテンションがかけられるレースアップや頑丈なラバートゥ、垂直にカットされたサイドなどはまさにクライミングシューズのそれである。ソールは固めで爪先に体重をかけても安定する。スエードアッパーも十分安心感のある厚さがある。タンとアッパーは一体ではないので、防水防塵性はあまり考慮にいれていないようだ。片方450g。2010年にはナショナルジオグラフィックのギアオブザイヤーを受賞している。
さっそく地獄谷から岩がちなルートを選んで六甲山をうろついてみた。軽快でいて固めのソールとアッパーが心強い。ソールは沢の濡れた岩ではさすがに不安定だが、トレッキングルートでは十分のグリップがある。もちろん岩場ではかなり自由に動き回れる。六甲山で遊ぶ範囲が広がりそうだ。

ボストン ノースエンド

ひさびさにボストンに戻ってきている。
オールドノースチャーチそばの、昔住んでいたアパートの前を通った。ここに住んでいた頃は留学生活がいろいろとキビシイ状況にあって、今でもここを歩くと思い出してなにやら背中が冷たくなる。
僕が住んでいたアパートのちょうど向かいに、ムエタイジムの友人が住んでいる。今夕は再会の宴で、彼自慢のうさぎのローストをごちそうになった。僕はお気に入りのホワイトホールレーンのボトルを持ち込んだ。
彼と最初に出会ったのは、彼がまだ格闘家を目指して渡米してきてすぐの10代の頃だった。今彼は既にUFCのプロファイターとして活躍していて、少しづつメディアにも名前が出始めている。僕はある調査を終えて、プライベートでも転機を迎えている。アメリカで最も古い街のひとつであるノースエンドの100年以上びくとも変わらない古アパートの一室で飲みながら、お互い歳をとったなあと思う。

ワラーチ試し履き

手作りワラーチで軽く流してみた。いきなり長距離を走る気にはならないので、海岸までの往復4kmほどの試走。走りずらいということもない。今回使用したソールはかなりやわらかいので、市販のスポーツサンダルよりも裸足に近いかもしれない。ただ、パラコードの長さや角度、結び目などの僅かな違いが気になるもので、何度も立ち止まって調整しなければならなかった。試行錯誤しながらセッティングを見つけるしかなさそうだ。また、ソールを足形よりも数ミリ大きめに切り抜いたために、少々引っかかる。ジャストサイズでも良いかもしれない。


すぐそばのロックガーデンから風吹岩のコースで試してみたいが、少々不安ではある。そういえば、先日来日していた”ベアフット”・テッド・マクドナルドが、芦屋のSky Highの面々と、ロックガーデンのルートを裸足で走ったという噂を耳にした。まあ行けなくはないようだ。そして先週末、板宿にリオープンしたre:products projectのパーティにお邪魔した際、偶然にもとなりで飲んでいた方が、その”ベアフット”・テッドとのセッションに参加していたそうだ。「僕は裸足でいきましたよ!ワラーチなら余裕です!!」とのこと。一度行ってみるかな…

オホタ

古タイヤのサンダルというと、ペルーにもオホタと呼ばれるものがある。農夫達がよく履いているもので、こちらも手作りの逸品である。田舎街のメルカドに行くと地元のおばちゃんがゴザのうえに山のように積み上げて売っている光景を目にする。ワラーチと違い革ひもではなくゴム板で足をホールドするようになっている。とんでもなく頑丈なモノで、写真は僕がクスコで10年以上前に手に入れたものだが、毎夏使っているのにまったく壊れる気配がない。
発掘を手伝ってくれる人夫さん達の間にもオホタ愛用者は多い。彼等はこのゴム板一枚で、ジャングルだろうが砂漠だろうがぐいぐいと分け入って行く。最先の技術素材がつぎ込まれたダナー社の米海兵隊仕様アケーディアをおごっている僕を追い抜いて、ぐいぐいと前進して行くのだ。ばかばかしくも、情けなくもなってくる。彼等はオホタひとつで発掘をやり、山羊を追って、サルサだって踊ってしまう。
オホタで疾走するペルー人というのはあまり見た事はないが、まあ走れない事も無いだろう。何しろカパック•ニャンを走り抜けたチャスキの子孫達だ。
ふと思い出したのがマチュピチュのグッバイ•ボーイズである。マチュピチュ遺跡を訪れた帰り、山を下るバスに乗り込むときには、きっと10歳前後の少年たち4,5人が”グッバーイ!”と叫んで手を振って見送ってくれる。なかなか可愛らしい光景で、”土産物屋の子供達かな?”とも思うのだが、ひとつカーブを曲がるといつの間にか先ほどの少年団が再び先回りして”グッバーイ!”とやってくれる。バスを追い抜いたわけでもないし、なんの魔法だと驚いてしまう。そして次のカーブ、その次と現れ、とうとう麓まで”グッバーイ!”は繰り返される。マチュピチュへの車道はつづら折りになっていて、少年達は山道をすべり降りて先回りしているのだ。ショートカットといってもバスと競っているのだから、結構なトレイルレースだ。
このちょっとしたイベントに、観光客たちはいたく感動する。5,6歳の小さなチャスキが山道から転げ出てくると、観光バスの中に歓声が上がる。憧れの天空の城マチュピチュを訪れた興奮も手伝って、麓で待ち構えている少年団に少なくないチップを渡すことになる。このグッバイ•ボーイたちは麓のアグアス•カリエンテス(温泉)の街の子供たちなのだが、実はこのマチュピチュ観光と温泉でもっているこの街では大人顔負けの稼ぎ手なのだ。
もちろんグッバイボーイたちの足下はNBでもダナーでもなく、オホタで正しく武装されている。ひと仕事終えて、駅前で年長の子供が真摯な顔つきで弟分になにやら語っている風景が見られる。次世代にベアフットランニングの極意でも伝授しているのだろうか。

ワラーチをつくる

ベアフット・ランのためのhuarache (ワラーチ)を作ってみた。北部メキシコに住む、”ララムリ(走る民)”とも呼ばれるTarahumara族が使うサンダルだ。古タイヤを足形に切って革ひもを巻き付けただけのもので、彼等はこのゴム板一枚で野山を駆け巡る。C. McDougallのBorn to Runでも紹介されている。
進化したランニングシューズありきな走りではなく、足を開放した自然な走りを目指すベアフット・ラン、ミニマルシュー・ランといったコンセプトは最近注目されていて、NBやVivoなども専用のシューズを出している。とくにトレラン系の人達の間に実践者が多いようが、なかにはララムリにならってサンダルで野山を駆け抜けるひともいる。ルナ・サンダルのようにワラーチに似た製品もあるし、自作している人もいる。
オリジナルが古タイヤを切っただけのモノだし、作りは単純だ。ビブラムソールを足形に切ってパラコードを通しただけ。10分もあれば出来てしまう。コードの通し方にいろいろと工夫があるが、これは使いながらベストなものを見つけていきたい。さて、早速こいつを履いて六甲山を越えて有馬温泉まで走ってみようか!という気にはとてもなれないのだけど…とりあえずは、海岸を軽く走ってフォア・フット・ランに慣れるとしよう。

カンフー映画

夕刻立ち寄ったビデオショップの新作棚に、”標的のアサシン”を見つけた。新作といっても米公開は5年ほど前だ。映画自体はかなりの低予算・力技で作られたマイナーなカンフー・アクションだが、監督・主演のJason Yeeは本格派だ。北京で行われた国際武術連盟の大会で套路、武器、散手で三冠をとった使い手で、キックボクシングでも散打ルールでは世界3位にランキングしていたほど。まあ内容はともあれ、僕にとってほんの少しだけ思い出のあるひと・場所に関わる映画だったりする。
僕がボストンで最初に格闘技を学んだのがJason Yee師の道場だった。僕はキックボクシング(散打)の練習ばかりで、伝統の型の練習は体験程度だったけれど、僕の打撃の基礎はJason Yee師に教えてもらった。残念ながら道場の入っていた建物が近くの学校に買われてしまい、いくつか仮ジムを移転するるうちに師は俳優デビューするためにボストンを離れ、道場は一時解散してしまう(ボストン美術館付属美大で学んだ師はもとから俳優志望だったそうだ)。
道場は19世紀の赤煉瓦の建物が並ぶNewbury通りにあった。この建物も昔は馬車のコーチを生産していた工場だっだという。むき出しの赤煉瓦の壁と、工場の一部だったと思われる古い鉄骨の梁にサンドバッグをぶら下げた風景は、結構気に入っていた。ちなみにこの建物を買ったのは僕の学んでいた大学だ。道場は修士設計用のスタジオに改装され、サンドバッグのかわりにプロッターが並べられた。スパーリングのマットスペースの一角は僕の設計ブースになった。この道場に通っていたころ、僕は留学生活が少々難しい状況にあって、日々の憂さを晴らすように熱心に練習に通って汗をかいていた。そして同じ場所で修士設計に苦しめられ違う汗をじっくりとかくことになった。
この道場と建物の周辺は映画のアクションシーンにも使われている。移転前の事だから、撮影されたのは10年近く前だろうか。背景に映る赤煉瓦の壁や、錆びた鉄枠の大きな天窓を見ると、キックの練習風景や、修士設計制作を思い出す。
解散後、僕はムエタイ道場に改めて入門したのだけど、残ったコーチ達と道場生達がセントラル・スクエアに新たな道場をつくったそうだ。僕も何度かお誘いを頂いていて、一度は顔を出そうと思いつつもついにその機会もなく帰国してしまった。何本か映画を撮って有名になりつつある師も、ボストンに来たときには新しい道場で教えておられるとか。ボストンに戻る機会があれば是非訪れたいところだ。
DVDのパッケージを手に取って、少しだけ郷愁にひたっていた。

旅用の釣り道具

urubamba旅と釣りと
釣り狂はどの分野にもまぎれこんでいるもので、調査旅行に出かけるときには必ずスーツケースの奥にリールやら竿やらの道具を忍ばせていくという考古学者には何人も会ったことがある。
リマで仲間が集って牛ハツの串焼きなんぞを肴にワインを傾けるとき、現場近くの湖やら川やらで釣り糸を垂れてみたという話を聞く事がある。かれらが調査で入り込んでいる場所は、たいてい旅行者が足を踏み入れることがないペルーやボリビアの奥地であるから、そんな酔談もなかなかの冒険談に聞こえてくる。すると、釣りには興味は無いながらも、なにかとても面白い事をし損ねたような気になってくる。学生の頃アマゾン河下りをやってハンモックにゆられながら開高健を読み、釣り道具を持ってこなかった事をくやんだことを思い出す。つぎ来るときにはぜひ一揃え担いでこようと思う。帰国するとすぐに忘れてしまいなかなか道具も揃わないのだけど。
僕も現地の人に混じって何度か釣りのまねごとなどをやってみたことはある。道具なんて無くて、空き缶に巻きつけた糸に適当なエサをつけた針を垂れてみるだけの、間違って喰い付いてしまったおっちょこちょいな魚をたぐり上げるような釣りだ。それでも成果はその日の夕食になるわけで、少しだけ真剣になれる。現場に長期滞在していると現地の料理に飽きてくることもあるので、タカマ産の白ワインを冷やしておいて、リマで仕入れておいた日本の醤油とワサビを引っぱりだして、刺身や炭焼きで魚をいただくのはなかなかごちそうなんだ。
アマゾン川の源流がすぐそばを流れている現場ではペヘレイを釣ってみた。淡水のイワシのようなもので、かなり小さな魚だ。いちいち釣り上げていてはおかずにもならないので、村人達は網をすすめてくれた。しかしそれでは釣りというより漁になってしまうので、あくまで針糸を垂れる事にした。一匹釣れただけだったが素揚げにすると旨かった。ナスカは砂漠の街だったけど、近くに港がいくつかあって立ち寄ったことがある。船着き場で晩飯を釣っている子供達に混じって名も知れないふてぶれしい面構えの魚を何匹か釣り上げた。これは現地の友人がトマト煮込みにしてくれたのが絶品で、ワインが相当にすすんでしまった。
(写真はペヘレイを釣ったアマゾンの源流)
abu1釣り道具など
そんなわけで、日本とペルーを行き来している間に、少しずつ釣り道具を集めてみた。これから釣りを本格的に始めようというわけではなく、ただ旅先で遊べる簡単な一揃えである。釣りの事は全く分からないが、竿とリール、ルアーが何個かあれば、空き缶に巻き付けた針糸よりは大分ましだろう。この辺りから興味は急速に行為からモノに移りはじめる。
たちの悪いことに、開高健の釣行本を読んだだけの脳内フィッシャーマンなので、少々やっかいなところからリサーチが始まる。リールはアブ•アンバサダー、竿はフェンウィック、ルアーはトビー、メップス、何のことやら全く分からないアヤシイ呪文のようだが、御大の本を読み返すとこの呪文で召還したのはピラルクーとかドラドとかやはり化け物らしいので、初心者向けの道具でないことは間違いない。
とはいえ外に手がかりがないのだから仕方がない。詳しいヒトやショップに相談するのが常套手段だろうけど、動機がゆるいので相談しづらい。場所は思いつくだけでもアマゾン川、アンデス高地の湖、ペルーの太平洋岸、瀬戸内海岸。獲物は、ペヘレイ、コルビナ、アマゾンじゃいろんなナマズがいたかな。瀬戸内海じゃすずきでも釣れるのだろうか?とりとめもない話だ。これじゃあ、相談される方も困るだろう。取り敢えず応用がききそうなものを揃えてみた。
リールはともあれ御大にならってアブ•アンバサダーの2500c。ドラドを釣りに行くわけではないのでさすがに5000cはでかすぎる。ロッドはおなじくアブのホーネット。スーツケースに入るパックロッドを。ルアーはメップス•アグリア、トビーとカストマスターを数種類づつ。
さて、今住んでいるアパートから自転車で15分も下れば芦屋の海にでる。何度か練習して、なんとか投げるだけはかたちになってきた。釣り人がトビーを見て「芦屋浜ではそれじゃ絶対に何も釣れないよ。」と忠告して下さった。投げる練習なんで釣れなくても構わないんだけど、実は一度アジが釣れたことがある。ペヘレイよりも、そしてトビーよりも小さかったけど。まあ、やってみるもんだ。次に調査旅行に出かける時には、スーツケースに忍ばせて行くことにしよう。

Stanleyのクラシックボトル

stanley1.jpg設計だろうが論文だろうが、僕は作業をしているときには手元にコーヒーがないとどうにも落ち着かない。ボストンにいた頃は、Newbury にあった大学の建築スタジオ近くのEspresso RoyalやTrident Cafeに、教授にお供して日に何度も通ったものだった。ところが、日本のとある大学の研究室に仕事で引きこもっているとき、いくつか状況が重なって淹れたてのコーヒーにありつくことが難しくて、仕事中はまずい缶コーヒーで耐えなければならなかった。
そこで手に入れたのがこの魔法瓶だ。保温マグカップもいいけど、あれは近場にスタバなどがあっていつでも補充ができる場合に活躍するモノだ。オフィスで使うなら魔法瓶がいい。Stanley社のクラシックボトルは、何十年もその姿を変えることなく作りつづけられていたもので、魔法瓶と言われてまず頭に浮かぶこのカタチは、アラジン魔法瓶のオリジナルともいわれている。一日机のうえに鎮座していてくれても楽しいカタチはまさにアノニマス•デザインの逸品だ。頑丈この上ないステンレスの真空断熱ボトルはその昔米軍でも使われていて、飛行機から前線の兵士へ薬や飲み物を入れて落としたという話があるけど、ふてぶてしいハンマートーンの草色のボディを眺めていると、そんな歴史もあったのかなという気がしてくる。
最新の山専テルモスなんかと比べると、やはり重くて大きくて保温性もいまいちなのだけど、オフィスで使う雰囲気を優先してこちらを選んだ。まあコラードの後部座席に転がしていくなら大きさ重さは関係ない。コンパクトな.47Lモデルでも高さ262mm, 460g、3杯分ほどなので一日これでもつ訳ではないけど、持ち歩くのならこれが限界だろう。この上の1L, 1.9Lのハンドル付きモデルだとピクニックみたいになってしまう(欲しいけど)。100℃のお湯を12時間後でも80℃に保つというから、朝淹れたコーヒーが、一日たっぷり楽しめる。
ちなみにコーヒーはケメックスで淹れているのだけど、もちろんあんなフラスコには保温力は無い。Stanleyは家では保温ポットとしても役立っている。今住んでいる芦屋の街もカフェが少ないのだけど、朝起きたらコーヒーをたっぷりStanleyにいれておくのだ。

VIVALO

vivalo15年も米国に住んでいると、”日本に住むならあんなことがしたい、こんなこともしたい”といろいろと考えてしまう。NJSフレームのピストに乗ることはそのうちのひとつ。ボストンのメッセンジャー達の間ではNJSフレーム•パーツともにかなり人気があり、中にはちょっと驚く値段で取引されているものもある。僕が日本人と知ると、手に入らないかと聞くひともいた。わざわざ取り寄せはしなかったけど、日本に住むことがあったら是非乗ってみたいと思っていたのだ。
(組み上げ途中のため写っていませんが、実際はピスト用リアブレーキも装備しています)
兵庫県を拠点とするビルダー、クサカ氏のVIVALOフレームは、競輪選手達から絶大な人気を集め、シェアが20%を超えた時期もあったとか。現在はレース車両として使われていないが、実戦で使われていたフレームが中古市場に多く出回った時期があり、またそれがピストブームにも重なったこともあり、メッセンジャーや自転車好きが手に入れて街乗りにしていることも多いようだ。僕としては地元兵庫ということもあって、是非VIVALOのフレームを手に入れたいと思っていた。
そんなわけで、帰国して最初のお買い物がこの白のVIVALOフレームで、実戦で使われていたものだ。デュラのクランクセットにサンシンプロハブ、ハッタスワンヘッドと基本パーツはNJS規格のものだが、ピラーは美麗なクロモリの雰囲気に合うMICHE Super Type、ハンドルはGTから慣れているNITTOのブルホーンバーにした。もちろんブレーキ穴も開けて前後ブレーキも装備している。
神戸の西、板宿にはVIVALOの自転車ショップ兼カフェ「Comfort Space」がある。以前お伺いした際には、ブレーキを付ける相談に乗って頂き、なんとクサカ氏の工房にも連れて行って頂いた。カリモクの家具が並ぶおされカフェには自転車工房が隣接し、VIVALOを中心にBromptonやSurlyなどひと癖ある自転車が並んでいる。レース志向というより、生活の中に自転車が入り込んでいるような、自転車が大好きな人達が集う店なのだろう。美しい自転車がたくさんあって、自転車好きの素敵なスタッフさん達がいて、料理も酒もある。店にいるとピストや小径ロードに乗った常連達が次々とやってくる。芦屋からは少し遠いが、身近にこんなカフェがあれば、毎日たれ込めてしまうだろう。6月からは、4階建ての倉庫ビルをリノベしたショップに移転するそうである。この素敵空間がさらに広がるとのことで、今から楽しみにしている。